驚愕スクープ!麻原側近幹部Xが初めて告白・消えた「オウム金塊と現金7億円」
[1]名無しさん
10/31 01:00
麻原側近幹部Xが初めて告白
消えた「オウム金塊と現金7億円」これが全真相だ


「私自身もそうですが、オウム信者は警察の取り調べでも、法廷でも、オウムの
闇についてまだまだ話していないことが多いのです」彼はきっぱりとそういっ
た。出所した上祐幹部が主導するオウムの動向については様々な憶測が流れるば
かりで、誰もがその真の思惑を握みかねている。いま一度、我々は原点に立ち
返って、その闇の部分にメスを入れる必要があるのではないか。その意味で、今
回初めてマスコミに登場するこの麻原の元側近、大物幹部X氏の告白は、極めて
衝撃的なものであった。

逮捕直前、麻原が指示した擬装解散

今の教団を見ているといよいよ上祐(史浩・幹部)が自分の思い通りに動き始め
たなという感じがします。遅かれ早かれ、上祐は麻原(彰晃・被告)もアーチャ
リー(麻原被告の3女)も、それこそ麻原一族全員を切り捨てて新団体を作り、
そのトップに就くのではないでしょうか。その計画は、麻原が逮捕された時点か
ら、彼の頭の中にはあったはずです。

こう語るのは、かつて麻原の側近だったオウム古参幹部の一人。仮にX氏
とする。X氏は現在40代。教団の前身である『オウム神仙の会』からの
出家信者で、教団運営の中枢にいた故・村井秀夫・最高幹部に最も近かっ
た人物だ。麻原被告は上祐幹部以上に村井幹部を重用していたといわれ、
それだけにX氏への信頼も厚く、極めて秘密性の高い任務の実行役にも指
名していたという。このX氏は一連のオウム事件で有罪判決を受け、刑務
所を出所後は教団からの脱会を決意。これまでオウムとは距離を保ってき
た。しかし、名称変更、アーチャリーらによる麻原被告の長男拉致事件な
ど、上祐幹部出所後の教団の動向を見るにつけ、「私が知る限りの教団の
真実を話しておく必要性を痛感するようになった」として、本誌のインタ
ビューに応じたのだ。かつて「尊師」と崇めた人物を、ためらう様子もな
く「麻原」と呼び捨てにする。信者特有の表情や目つきもすっかり消えて
いる。だが、麻原側近として教団の中枢にいただけに、教団の恐ろしさは
十二分に知っているのだろう。「名前を明かすことは容赦願いたい。家族
に累が及ぶことだけは避けたい」と強く要望した。本誌も匿名条件を了解
し、彼の告白を掲載するに至ったことをお断わりしておく。

そもそも、教団解散は麻原自身の発案でした。95年3月22日の強制捜査の直
前です。幹部10数人を集めた席で彼は、「私が逮捕されるなど、もしものとき
は、教団の解散も視野に入れるべきだ」と発言したのです。その場合は、他の宗
教団体に衣替えせよ、とも命じました。麻原の逮捕後、教団が休眠中の宗教法人
の買収に動いていると報じられたことがありましたが、あれは事実だったので
す。なんといっても麻原の指令でしたから。
解散権を委ねられたのは村井だけです。上祐ではありません。そもそも、その指
令が出された当時、上祐はモスクワ支部長として日本を離れていたため、この会
議の存在自体、直接には知らなかったのです。
もっとも、宗教法人の買い取りは失敗に終わりました。その理由は私も逮捕され
てしまったため定かではありませんが、村井暗殺による混乱、捜査当局の監視の
厳しさなどが考えられます。そして麻原、村井の不在の後は上祐が一手に教団権
力を握った観があります。有罪判決を受けて刑務所に入ったため、一時的には権
力から離れたわけですが、出所後早々に教団の実権を握ったのは、ある意味で当
然のことです。
麻原は村井と上祐の2人を指し「2大高弟」と呼んでいました。麻原の妻、アー
チャリー以外の正大師としては大蔵省大臣で麻原の子供を生んでいる石井久子も
いましたが、弟子としての信頼度は村井、上祐より劣り、とにかく2人は別格扱
いだったのです。
その一方の村井は暗殺され、この世にはいません。その意味で、上祐が実権を握
り、麻原の指令である教団解散を断行したことは、ある意味では既定方針通りと
見ることもできるかもしれません。そしてアーチャリーの排除も時間の問題で
しょう。
実は、麻原は男尊女卑の塊のような男でした。もちろん一般の信者、とくに女性
を前にしたときは、そんなことはおくびにも出しません。「女性は素晴らしい生
命だ」などと話しています。しかし、裏に回れば別。男性幹部の前では、「女は
ステージが低い。オウムははっきり男尊女卑で行く」などと話していたのです。
村井や上祐に比べ石井の地位が低かったのもそのためです。はっきりいって、
「所詮、彼女は妾だから」という意識が男性幹部の間にはあったのです。
だから麻原がアーチャリーを後継者に指名したときは、男性幹部たちに戸惑いが
ありました。なぜ、女性が後継者になれるんだと。村井や上祐ははっきりと面白
くないという顔をしていたものです。それもあり、麻原逮捕後に残った教団幹部
は、長男と次男を教祖に指名したのでしょう。ただし、一般のサマナは別です。
彼らは麻原が男尊女卑の考えを抱いていたなどとは恩いもしません。名目上は長
男と次男が教祖になったとしても、真の後継者はアーチャリー、と現在でも信じ
ているはずです。それだけに上祐が露骨にアーチャリー切り捨てに動けば、信者
数は半減するかもしれません。もっとも、アーチャリーに逮捕状が出たいま、麻
原同様に切り捨てる口実ができたわけで、上祐にとっては望み通りの展開でしょ
う。

上祐出世の裏に「婚約者」の存在

むろん、上祐とて絶対の人望があるわけではない。幹部たちは、心の底では彼を
苦々しく思っているはず。というのも、なぜ彼が教団内で出世できたのかを知っ
ているからです。
村井が出世できたのは、ある意味で当然です。彼は麻原絶対、麻原が自分の人
生、のような男でした。しかも、私心がない。他の幹部のように麻原の目を盗ん
で性の破戒などをすることもなかった。その生真面目さを慕う信者も多かったの
です。かくいう私もそのひとりです。
しかし上祐は違う、と一部の幹部は思っています。上祐が出世できたのは、元婚
約者の存在が大、と信じられています。麻原が彼女を見染め急接近するなか、上
祐はこれを黙認しました。その功徳は世間一般の人が考えるより遥かに大きく、
だからこそ上祐は村井と並ぶ2大高弟にまで抜擢されたのです。
たしかに上祐は頭も切れるし弁も立つ。しかし、それだけでは村井と並んで正大
師にはなれなかったはずです。そのことは麻原の愛人になり、子供まで生んだ石
井の存在が、 何より雄弁に物語っていると思います。
そのせいか、上祐も麻原を見下している面がありました。見下しているという表
現は大袈裟かもしれませんが、少なくとも村井ほどには麻原に対して純粋ではな
かった。その証拠が、オウムが亀戸道場で起こした炭疽菌事件です。これは失敗
したため証拠集めが難しく、最終的には事件として立件されませんでしたが、猛
毒の炭疽菌を散布して付近住民の殺害を狙ったもの。この散布の責任者のひとり
が上祐で、しかも彼は、間違って麻原に炭疽菌をかけてしまったのです。
しかも、この件で麻原は付近住民に小突かれています。「異臭を出した責任者は
お前か、けしからん」というわけです。教祖が一般人に手をかけられるなど前代
未聞、教団ではあってはならないことです。これは現場責任者の上祐が体を張っ
て教祖を守らなかったからだ、ともいわれました。一歩間違えばというより、計
画が成功していれば麻原が死亡していたわけで、そのうえ、住民の暴力からも守
れない、これは上祐の麻原に対する帰依が足りない証拠、と批判する幹部まで出
たのです。
もちろん、麻原も怒りました。それもあって、この事件後、上祐はモスクワ支部
に飛ばされたのです。
ただし、モスクワ左遷程度で許されたのは、元婚約者の存在があったからです。
それが幸いして、上祐は地下鉄サリン事件などの犯罪にも手を染めずにすんだわ
けですが。こうした経緯を幹部たちは知っています。だからこそ、何も知らない
一般サマナは別として、いまは上祐と行動を共にしている幹部にしても、全員が
心の底から慕っているわけではない、といえるのです。

アーチャリーを毛嫌いした上祐

ところで、上祐がモスクワ支部に左遷された理由は、炭疽菌事件だけが原因では
ありません。もうひとつの原因はアーチャリーとの確執です。

一部では、上祐はともかく、アーチヤーリー本人は上祐を慕っている、と見られ
ている。最近になって一部マスコミが、アーチャリーが、母親である松本知子被
告に書き送った手紙を公開した。それには、上祐幹部を「頭のいいお兄さん」と
呼び、「そんけいできる人が帰ってきてくれて嬉しいです」という心境も綴られ
ている。これを読むかぎり、上祐幹部とアーチャリーの関係は良好にも見えるの
だが、X氏が見てきたふたりの関係は、もっと冷えきったものだったようだ。

ほとんどの信者にとってアーチャリーは最悪の悪ガキといってもいいでしょう。
麻原が後継者に指名してしまったばかりに、それをカサに着てわがまま放題。弟
子たちにしても後継者に逆らうわけにはいかず、言葉通り足蹴にされた弟子たち
の数を挙げればきりがないほどです。
もっとも悪ガキはアーチャリーだけではなく、長女も同様です。妹であるアー
チャリーが後継者に指名された嫉妬もあったのでしょう。アーチャリーに対抗す
るかのように人人の話にでしゃばってきて、私たち幹部が閉口することもしばし
ばでした。とくに呆れたのは、長女とアーチャリーの折り合いの悪さ。弟子たち
の見ている前で取っ組み合いの喧嘩をしたこともあります。麻原の子供がこれで
は教団内に混乱が起きることも考えられ、私が上祐は麻原一族を切るだろうとい
うのも、そのほうが教団運営がしやすいからと考えるからです。
そもそもアーチャリーが上祐を尊敬しているなど、額面通りに受け取ることはで
きません。彼女が上祐を頼りにしていることは事実でしょう。しかし、それはあ
くまで麻原の後継者である自分の忠実な僕としてで、それ以上の存在として認め
るつもりはないのです。とりあえず、いまは上祐に頼るしかないから彼を持ち上
げておこう、ということでしょう。
と同時に、上祐のほうもアーチャリーを毛嫌いしています。モスクワ左遷の一因
を作ったからです。これでライバルだった村井に遅れを取ったことは事実で、権
力欲の強い彼にとって、当時は大きな挫折と感じたはずです。
そもそもの原因はMという女性信者でした。当時、彼女は麻原のお世語係の一員
だったと思いますが、彼女に上祐が迫ったという噂が立ちました。それを聞きつ
けたアーチヤリーが麻原に、「上祐が性の破戒をしている」と密告したのです。
結果的に上祐は麻原の叱責を受け、Mは地方の支部に左遷されたはずです。この
一件以来、上祐は、「アーチヤリーには気をつけなきゃならん」と漏らすように
なりました。
上祐を僕としか見ないアーチャリー、アーチャリーを毛嫌いする上祐、うまく行
くはずがありません。

「備蓄は金で」がオウムの決まり

X氏によれば、サリン事件、強制捜査当時もロシアに飛ばされていたた
め、激動期のオウムのことで、上祐が知らないことが多数あるという。そ
のなかでももっとも重大な事件は何か−という本誌の問いに、X氏は驚く
べき内情を明かした。

教団資産のことです。具体的には、消えた現金7億円と金塊の合わせて約10億
円の行方ですね。

95年3月22日から始まった教団への強制捜査。このとき、富士山総本
部の第ーサティアンの3階にあった石井大蔵大臣の20畳ほどある部屋に
備えつけられていた金庫には、莫大な教団資産が保管されていたという。
その総額は7億円ともいわれ、捜査貝も保管状況を確認したとも伝えられ
た。しかし、令状を持った捜査員らが翌日あらためて押取に向かったと
き、すでに資産は何者かによって持ち出された後だった。金庫は空の状態
で、現金・金塊の行方は、今日に至っても判明していない。あれから5
年、マスコミも含めて、ほとんどの人がそうした謎があったことすら忘れ
ている。X氏は気負ったそぶりも見せずに、「実は自分も資産隠しに関
わった」と証言を始めた。

強制捜査は早朝から開始されました。富士山総本部道場から上九一色村の第5サ
ティアンにある法務省の部屋にいた青山吉伸に連絡が入ったのは昼頃。すぐさま
私も彼に呼ばれました。その場所には、当時車両省大臣だった野田成人、法務省
所属で青山の部下だったKらがいました。「まずいことになった。第ーサティア
ンの現金を捜査員に見られた。幸い押収はされなかったが次は令状を持って押収
に来るはずだ。それまでに何とかしなければ」
いつもは冷静な青山も、このときは焦りまくっているという感じでした。
当時、石井の部属には多額の教団資産が置かれていたのです。現金7億円の他、
金塊もあり、総額は10億円程度と、村井から闘いた記憶があります。
そもそも石井の部屋には大型の金庫が3つあったといいます。私自身は金庫を直
接見たことはありません。第ーサティアンは石井と、その側近が住んでいる場所
で、いってみれば大奥。男子禁制の場所だったからです。
村井に聞いたところでは、金庫は高さ2メートル、幅、奥行きは1メートルほど
の大きさで、つねに数億円の現金がプールされているということでした。すべて
在家信者からのお布施で、100万円ずつ束にして輪ゴムをかけ、金庫に積み上
げておくのだそうです。
この管理責任者が大蔵大臣の石井。出家信者たちは必要に応じて上司の許可をも
らい、石井から現金を受ける仕組みになっていました。私たちも、外でのワーク
の際などには、石井から現金を受け取っていました。
といってもオウムの資産を全面的に石井が管理していたわけではありません。石
井の権限は必要最低隈の現金の管理まで。備蓄については、村井の役割でした。
お布施が一定の金額に達した段階で村井が持ち出し、金の延べ板に代えるので
す。
私は1個だけ、村井に見せてもらったことがありますが、ある貴金属店の刻印が
押された1キログラムの金の延べ板でした。それより大きい延べ棒、つまりイン
ゴットを買わないのは、いざというときの換金性に欠ける、それに持ち運びが不
便だからと聞いています。
なぜ、金なのかといえば、一般人にはにわかに信じられないでしょうが、当時は
オウムの敵はフリーメーソンだと信じていたからです。麻原によれば、日本銀行
はフリーメーソンに支配されているから信用できず、銀行預金は禁止。さらに、
フリーメーソンは為替相場を支配していて、一瞬にして紙幣を紙層に変えてしま
う力を持っているため、現金での保管も危険。このためオウムは金しか信用せ
ず、備蓄は基本的に金でするのです。
とにかくこれは、麻原が決めた決まりであり、それに疑問を抱くことすらありま
せんでした。
ですから、捜査当局やマスコミなどが「教団には隠し口座があるはずだ」などと
騒いていたのには吹き出したものです。銀行を信用しない教団が隠し口座を持つ
はずがないからです。あくまで銀行口座は入金用。それが確認されれば、すぐに
引き出してしまうのですから、教団の口座を探し当てたとしても、無駄骨に終
わったはずです。
その金の延べ板と、金に交換する前の現金が、強制捜査開始当日の石井の部麗に
保管されていたわけです。

村井らわずか3人で「金塊隠し」

捜査陣に発見されて慌てた青山は、「大変な緊急時だから備蓄係である村井を呼
んで判断を仰ぐしかない」と私にいうのです。この日、村井は強制捜査に立ち会
うことを避け、河口湖近くのホテルに隠れていました。村井は地下鉄サリン事件
の指揮者であり、逮捕を恐れての潜伏だったのですが、当時の私は彼が地下鉄サ
リン事件に関わっていたとは知りません。そもそも、あの事件が教団の犯罪とも
知らなかったのです。ですから、私は青山の依頼に躊躇することなく、村井の携
帯電話に連絡を人れたのでした。
村井も教団資産の隠匿は自分の逮捕間題以上に重大と考えたのでしょう。変装を
し、検問をかいくぐり、わずかな時間で駆けつけました。村井の決断は早く、す
ぐに富士宮に向かい、資産を隠すぞといいました。車で出発し、検問を避けなが
らの隠密行動、そのため到着は夜中になっていました。
ところが金庫の置き場所は大奥。この緊急事態だというのに、男子禁制を譲らず
に、石井のお直話係などの女性信者が外まで運ぶというのです。
そのため私は、10億円前後といわれた現金と金の延べ板を目にしてはいないの
です。運び出されたときは衣装ケースに詰められていましたから。よく押し入れ
なんかに衣装を詰めて置いてあるプラスチック製のケース、あれです。しかも、
運搬用の白いワゴン車は、第ーサティアンの入り口にぴったりと密着するように
横付けにされましたから、衣装ケースを見たのも一瞬の間だけでした。といって
も、私も慌てていましたから、じっくり観察する余裕がなかったのも事実です。
衣装ケースを白のワゴン車に積み込んだまでは、私白身見ていたのですが、最終
的に車に乗り込んだのは運転手の他、村井、それと警備係の3人だけ。しかも、
深夜だったため街灯のないサティアン周辺は真っ暗で、村井の他のメンバーの顔
ははっきりと見えないままでした。誰だったのかもわからないのですが、とにか
く3人で出発して行くところまでは、私自身、確認しています。
行き先ですか?当初は川崎に向かう計画がありました。教団の会計士だったTと
いう出家信者の実家へ運ばうという案で、彼の家族は在家信者でしたし、そこな
らば当局のマークも届いていないだろうと考えたのです。
しかし、この計画は2つの問題があって撤回されました。ひとつはオウムは在家
信者を最終的には信用していなかったこと。もうひとつは、そもそも当時は、上
九や富士宮周辺は検問が厳しく川崎方面の道路を突破できそうになかったためで
す。それでも村井はためらうことなく車を発進させたのですから、隠し場所につ
いては目算があったのでしょう。
残念ながら私は、最終的な隠し場所を本当に知らないのです。知っていたら、刑
務所を出て真っ先に調べていますよ(笑い)。
ただし、私なりに想像したことはあります。検問で阻止されることなく、車で行
ける場所です。私は強制捜査から間もなく逮捕されてしまったため、実際のとこ
ろは知らないのですが、強制捜査の間も幹部たちは検問突破をやっていたと聞い
ています。徒歩で検問場所を迂回して、その後に教団の敷地外に車で待機してい
る信者と携帯電話で連絡を取り、ピックアップしてもらう方法です。
この方法があったから、強制捜査中も幹部たちは東京と上九一色村の間を往来で
きたのです。しかし、そのときばかりは徒歩は無理です。わずか3人で現金と金
塊の詰まった5個の衣装ケースを持ち運べるはずがないからです。だから、隠し
場所は検問にかからずに車で行ける範囲で、しかも捜査当局には絶対に察知され
ないところ。そこは富士山周辺しかありません。村井は、そこに教団資産を埋め
たと思います。このことは絶対に間違いないはずです。

この〃オウム埋蔵金〃ともいうべき7億円の現金と金塊の行方について、X氏は
「たぶん、その後に野田らによって回収されたのでは」という思いも捨てきれな
いという。しかし、あの混乱のさなか、もし教団側がそれらを持ち出すことがで
きなかったとしたら……、「その場合は、たぶんこのあたりでしょう。といいな
がら、彼は地図のある地域を指し示した。
なぜ、断言できるのか。そう間うと、X氏はオウムのまだ知られていない資金獲
得計画の存在を明かした。そして、10億円余の隠匿場所は、この計画と密接な< br>関係があるというのだ。

書く|更新|検索|
返信数:1件

[2]名無しさん
10/31 01:08
『埋蔵金伝説』──その言葉から常人が抱くのは、歴史へのロマンや夢
だが、麻原の場合は違った。その金塊さえも我がものと強弁すべく、あ
きれた理屈を並べたて、実際に発掘作業を信者にさせていたのである。
かつて麻原の近くに仕え、その秘密指令の数々を目の当たりにしてきた
幹部X氏の証言からは、あまりにも荒唐無稽な教団の実態とともに、カ
ネヘの異常な執着が見えて来る。

「私は徳川家光の生まれ変わり」
あの強制捜査の夜(95年3月22日)、教団の大蔵大臣だった石井久子(受刑
囚)の部屋にあった7億円の現金と金の延べ板、合計約10億円の資産隠匿謀議
に私が関わっていたことは前回話しました。その後、この資産の行方は捜査当局
も確認できていません。私自身、しばらくして逮捕されてしまったこともあり、
最終的な行方までは聞かされていないのです。
その後、教団のメンバーによって密かに回収されたのかどうかはともかく、一時
的な保管場所だったら、思い当たる場所があります。というより、ここしかない
という確信があるのです。その場所とは富士山麓、本栖湖の周辺に広がる森の中
です。
なぜ、本栖湖周辺の森の中なのか。それは麻原彰晃(本名・松本智津夫被告)、
村井秀夫(故人、元最高幹部)、そして私の3人しか詳細を知らなかった秘密の
ワークと密接な関連があるからです。
それは「埋蔵金発掘計画」です。あまりにも唐突な話で信じてもらえないかもし
れませんが、当時の私たちは大真面目に、戦国時代から江戸時代にかけて隠され
たとされる埋蔵金探しを行なっていたのです。

こう話すのは、かつて麻原被告の側近で、オウム古参の大物幹部だった
X氏である。オウムの前身『オウム神仙の会』当時からの信者で、麻原
被告の信頼も厚く、その最側近であった故・村井最高幹部の補佐役を命
じられていた。教団の裏側を熟知する立場にあった人物である。事実、
X氏自身、教団の非合法活動に従事し、そのため強制捜査開始後に逮捕
され、実刑判決を受けている。その過程で教団を脱会、以降は沈黙を
守ってきたが、今回、本誌の求めに応じて、刑務所を出所後初めて、か
つての教団の実態を語り始めた。
「公判では教団の実態、自分の犯した罪を語ろうとしなかった上祐(史
浩幹部)が刑務所を出るや教団に復帰、事実上の最高幹部として新たな
組織を旗揚げしました。しかしいまなお、自らの犯罪行為について、積
極的には明かそうとはしていません。詭弁を弄しながら教団の延命を狙
う上祐の姿勢は、かつてのオウムそのままの手法であり、このままでは
再びかつて通った道を辿らないとは断言できません。それに異議を唱え
るためにも、オウム及び麻原がいかにデタラメで、本来の宗教とはかけ
離れた存在であったか、私の知るかぎりを明らかにしておきたいと思っ
たのです」
本誌の取材に応じた動機をそう語るX氏は、前回の強制捜査の最中、忽
然と消えた総額約10億円の教団資産隠匿に続いて、上祐幹部も知らな
い新事実として、「埋蔵金発掘計画」の全貌を、本栖湖周辺の地図を示
しながら次のように明かすのだ。

95年3月の地下鉄サリン事件直後、南青山にあった東京総本部道場で行なわれ
た記者会見に上祐とともに出席した村井は、「教団資産は1000億円」と豪語
しました。記憶に残っている方もいらっしゃると思います。あの金額の根拠が、
実はこの埋蔵金だったのです。
なぜ、埋蔵金なのか、話は90年に遡ります。それまで「自分は古代エジプトの
ジョセル王の生まれ変わりである」といい続けていた麻原が、なぜか突然、「自
分は、徳川家光の生まれ変わりだ」といい出したのです。このことは当時の教団
の出版物(『マハーヤーナ』90年11月号)にも記されています。ここから先
は私たち3人しか知らないことですが、あるとき、村井と私を呼び出し、麻原は
こう切り出したのです。
「徳川幕府は群馬の赤城山や富士山麓などに財宝を隠した。埋蔵金だ。それは家
光の生まれ変わりである私の物だ。つまりオウムのものだ。探せ」
と。余りにも荒唐無稽な話に聞こえるでしょう。しかし、当時の私たちは麻原絶
対の考えにマインドコントロールされていました。尊師を疑うことは地獄行きを
意味します。彼の発言は疑う余地のないものだったのです。

真夜中に黒装束で山中を探索
こうして村井と私は埋蔵金探しに関わることになったのです。ただし、当時の私
は他のワークが忙しく、あくまで指揮者は村井。私は時間が空いたときの補助と
いう立場でした。指揮者に命じられた村井はすぐに行動を開始しました。まず、
図書館などで埋蔵金に関する文献を探し、埋蔵金探しを行なっている人物などに
も探りを入れたようです。

そういいながら、彼は村井幹部からもらったという埋蔵金に関する文献
のコピーを取り出した。

この中で徳川埋蔵金の他、教団施設が集中する上九一色村のある山梨県内には武
田信玄や穴山梅雪の埋蔵金伝説があることを知り、これも並行して探すことにな
りました。

穴山梅雪とは元は武田信玄の重臣だが、勝頼の代に武田家から徳川家康
側に寝返る。梅雪は信玄が亡くなる直前、命令により馬50頭分もの金
の延べ棒や砂金を柳沢峠に埋め、後にそれを本栖湖畔の竜ヶ岳あたりに
隠したといわれている。

こうした埋蔵金情報を得た村井は、実行部隊を結成しました。村井の他、彼の部
下だった林泰男(地下鉄サリン事件などの実行犯として公判中)、渡部和実(サ
リンプラント建設などで実刑確定)など6人。秘密ワークのため少数精鋭で行く
ということでしたが、選ばれた6人に対しても真相は打ち明けていないのです。
あくまで「鉱物資源を発掘するための地質調査」という名目でした。
行動は人目を忍んで夜の9時頃から早朝の4時頃に限定されました。当然です、
国有地や他人の所有地を勝手に掘るのですから。服装も黒の作業脈上下に黒のゴ
ム長靴という黒ずくめのスタイル。その格好で他の出家信者にも見られないよう
に気を配りながら、上九一色村の第3サティアンに集合し、車で出発するので
す。車にはスコップ、つるはし、薮を切り開くナタ、ヘッドランプ付きヘルメッ
トやサーチライト、2メートルほどの金属棒、さらには2台の金属探知機、地中
レーダーやバッテリーも積んでいました。
金属探知機は市販の製品ですが、地中レーダーは村井が開発、作製したもので
す。形としては家庭用の掃除機を想像してください。 掃除機本体にあたる部分に
地中の反応を波線の画像で示すモニターがついていて、そこから延びているノズ
ルを地面に這わせることにより地中の状態を探知するのだそうです。
彼の説明によれば、埋蔵金は石版で蓋がされていて、その上を土が覆っていると
いうことでした。ですから、まず金属棒で地面を刺しながら歩き、石のような感触
があれば、地中レーダーと金属探知機の出番になります。レーダーが石の下の空洞
を探知、さらに金属探知機が反応を示せば、そこに埋蔵金が隠されているはず、と
いうわけです。
とにかく、私を含めて7人か8人の男たちが深夜、ナタで薮を切り開き、地面に
金属棒を突き刺しながら、黙々と山の中を歩き回るわけです。
感触ですか?笑われるかもしれませんが、あったことはあったんです。地中レー
ダーが反応したと村井がいい、一晩で10か所近くも穴を掘ったこともありまし
たから。そういう場合は一人を見張りに立て、残りが交代で必死に地面を掘り返
すのです。いえ、結局そのときは発見できていません。地中の構造上、たまたま
空洞があったというケースがほとんどでしたね。

沢山埋蔵命は探し当てた?

村井幹部らが発掘を目指したのは先の2つの埋蔵金だけではなかった。
富山県の立山山中にあるとされる、織田信長の家臣。佐々成敗の埋蔵
金、さらには兵庫県多田銀山の豊臣秀吉埋蔵金の発掘も計画に組みこま
れていたという。

そのなかでも、とくに村井が力を入れていたのは、穴山梅雪の埋蔵金です。数あ
る埋蔵金伝説のなかでも信愚性が高かったからです。そもそも上九一色村にサ
ティアン群を建設する土地を購入したのも、霊峰・富士山に近かったことに加
え、穴山梅雪の埋蔵金伝説の存在があったから、という事情もあったのです。
上九一色村から目と鼻の先ともいえる本栖湖の湖畔周辺。ここを村井は徹底的に
調査しました。暇を見つけては林泰男などの部下を連れることもなく、単独で歩
き回ったとも話していました。ですから本栖湖周辺は村井にとって自分の庭のよ
うに精通した場所だったのです。
しかも、村井はこう話したことがあります。私を誘い、2人で本栖湖の周辺を歩
いていたときのことです。
「この辺はな、ちょっと樹海の方に入れば、自然の洞窟がたくさんあるんだよ。
そういった場所はな、財宝とかを隠しやすいんだ。こういう洞窟の奥に財宝を隠
して土砂で覆えば、よほどのことがないかぎり発見されないものだ」
こう話す村井の口調には妙に自信に満ちた響きがあり、私はひょっとしてすでに
穴山梅雪の埋蔵金を探し当てたのではと思ったほどです。
村井が埋蔵金を探し当てたのかもしれないと思った理由は、もうひとつあるので
す。ちょうどこの頃、村井は都内にある有名貴金属店に行っているのです。そこ
で埋蔵金などを発掘した場合の所有権の問題や換金方法を聞いてきたというので
す。「一度にたくさんの換金はまずいな」とか内容もかなり具体的で、そのこと
が、いまでも妙に私の頭に引っかかっているのです。
村井が、なぜ殺されたのか。ひょっとして埋蔵金を探し当てたからかもしれな
い。そのことを麻原に口止めされていたのに、思わず「教団資産は1000億
円」と口走ってしまった。そのため、麻原が村井の口封じを何者かに依頼したの
ではないか、とまで考えたこともあります。もちろん、これは私の想像ですが
…。
埋蔵金発掘など夢のまた夢で、村井殺害の理由は他にあるのかもしれません。し
かし、これだけは確実だと思います。石井の部屋から消えた約10億円の教団資
産は、一時的にせよ、村井によって本栖湖の近くに隠されたのではないか。どう
考えても、他に隠し場所はないからです。

まだ30億円の行方が不明のまま
実は、村井が隠したのは、このときの10億円だけではないはずです。強制捜査
当時、この他に少なくとも20億円、合計で30億円相当の資産が教団内には
残っていなければおかしいからです。これは実に簡単な計算です。教団資産の
「出と入り」を考えればいいだけです。
オウムが大量出馬した90年の総選挙の惨敗から立ち直り、勢力拡大を続けた
94年までの間、教団の総収入は100億円を超えていました。逆に支出はどう
多く見積もっても60億円から70億円程度のはずです。その差額の30億円か
ら40億円の行方が私には謎として残っています。
その行方不明の資産は、麻原が村井に命じて備蓄に回していたのではないか、そ
して、それもまた富士山麓の樹海の中にある深い洞窟に隠されたのではないか、
と私は思っているのです。
理由は2つ。村井の口からは前に話した都内の有名貴金属店以外にも、金地金を
取り扱う会社の名前が数社ほど出ているのです。前回にも説明しましたが、銀行
を信用しないオウムは、全て現金決済でした。その現金すらも貨幣価値は変動す
るからと信用せず、手元に決済用の数億円を残す他は金の延べ板に替えていまし
た。しかし、相当量の全備蓄をしなければ、何社もの金地金を扱う会社を知る必
要はないはずです。しかも、強制捜査の渦中でも教団施設から金の延べ板が押収
されたという話は聞いていません。
もうひとつの理由は麻原の説いたハルマゲドンに関係します。麻原は1999年
のハルマゲドンを〃予言〃しました。これは麻原が敵と断じたフリーメーソンと
の戦争を想定したもので、戦いが始まればいま以上に資金が必要になるとして、
村井に備蓄を命じた経緯があります。
ですから、30億円に相当する程度の金の延べ板が、どこかに隠されていなけれ
ぱおかしいのです。村井のことです、麻原以外には誰にも明かすことなく、ひと
りで持てる程度の金の延べ板を抱えては、せっせと樹海の中に分け入り、秘密の
洞窟の中に隠していたということも十分考えられるのです。

X氏の表情は最後まで真剣そのもので、口調からも偽りや誇張は感じら
れない。教団資産の隠匿はともかく、埋蔵金伝説に踊らされていたな
ど、にわかには信じがたいような告白だが、
「常識では計れないような、世間から見ればマンガチックなことでも、真剣にや
るのがオウム。だから怖いのです」X氏はそういうと、さらにまた知られていな
い麻原オウムの信じ難い実態を口にするのだった。

前へ次へ
/1

書く|更新|検索|


スレッド一覧

全国募集板
RANK|LINK|ホムペ
SMART-BBS